日本妙好人協会

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金言金行集
2020年11月28日

 河端(かはばた)の勝寳寺(しょうぼうじ)

平泉 徳城師(ひらいずみ とくじょう)は、學問の志

深く又信仰も深かつた。

 或る老婆、後生の大事に心配し、一時は寢食を

も打忘れて諸方を尋ねた。

 その内、今の勝寳寺へ参り、心中を打明けて

相談を願ふに、師 云く、「お前は種々(いろいろ)の

事を聞いて心配して居るが、先づ考へて見るが

好(よ)い。  木曾川の堤を行けば木曽山

(きそやま)へ行く、南無阿彌陀佛を信ずれば

淨土へ往く。 念佛を信じたのが、とが になりて、

淨土へ参るげなで、喜んで念佛申されよ」 と

 この短き話で多年(たねん)の疑ひ一時に晴れ

て、二十年來せいせいと喜ばるゝやうになつた。

 念佛は實に彌陀の本願であるからである。

 蓮如上人が常に「念佛のいはれを知りたる

人こそ佛にはなるべけれ」と

仰せられたるを能く味(あじあ)はねばならぬ。


安心百話より 平泉 コ城和上

金言金行集
2020年11月30日
 癇癪玉(かんしゃくだま)

 大正三年十一月三十日 八十三歳を以(もっ)て

歿くなられた蓮元慈廣(はすもとじこう)講師は

江州東淺井郡 虎姫村(とらひめ)願應寺

(がんおうじ)の前住(ぜんじゅう)である、師 俥上

(しゃじょう)又は汽車中(ちゅう)などで寺院が見え

ると、直ぐに禮拝(らいはい)稱名せられたと承つ

て居る。

 或(あるい)は鐘の聲、太鼓の音など、何を縁と

してでも思ひ出して稱名するは、亦(また)報恩の

心掛であると思ふ。

 師が七八年前、尾州巡回の節の法話の中に

「癇癪は持ちて生れた鈴の玉、あたるさはると

鳴るぞかなしき」

 「その玉の中に他力の信ありて、

また鳴りもどる彌陀の名號」と申されたことを

記憶し居る。



安心百話より  蓮元 慈廣(はすもとじこう)講師

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