金言金行集 |
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2020年7月4日 |
伊勢の同行が仏法がわからぬので七三郎を たずねてきいたが、話の途中でいねむりをした。 そばの人がそれを わらうと七三郎は 「わたしも昔は こうであった」 といった。 きいた人が香樹院にこのことを いうと 師は 「七三郎は まだそんなところに いるか」 といった。 それを伝えきいた七三郎は、すぐ京に向かった が、師は加賀(石川県)に行っていたので、加賀 までたずね、 「七三郎は、まだそんなところにいるか との おおせは、どういう思召でござりましょうか」 ときくと、師は声をあげて 「七三郎。今はどうじゃ。 今はどうじゃ。」 といった。 七三郎は、ひれふした。 みにくく、なまけていたのは むかしのことと思って いるとき、現在を魔に占領されているのである。 聞くとは その自己をきくのである。その自己を きくとき、大地にひれふして念仏申すほかない。 後に七三郎が 「私はいつも うそばかり申しているが、その中に たった一つまことが あります。それは、 お念仏さまである」といっているのは、こういう 関所を通ってでてきた ことばであろうか。 三河の妙好人 七三郎さん |
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金言金行集 |
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2020年7月5日 |
七三郎は伊賀(三重県)に三左衛門同行をたず ねた。 あいさつもそこそこ、わらじのひもをときながら 「三左さん、三河のじいが、わざわざたずねてき たが、どうか一念の場(仏にすくわれた一念の 味の意)を、たったひとこときかせて下され」 「なむあみだぶつ。ありがとうございます。 それさえしらぬ者にござります」 「そういう おじひでございますかいのう。 なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」 それで あいさつがすみ、あとは毎日こういう、妙境 をくりかえして よろこび合った。 皈りもまた、わらじのひもを むすびながら 「三左さん。三河のじいが、せっかくたずねてきた ことじゃあが、どうか みやげに、一念の場を、 たった一言きかせて下され」 「ありがとうございます。それさえしらぬものです が、このままお助け下さるそうでございます。 なむあみだぶつ」 「ああ、そういうおじひで ございますかいのう。 ありがとうございます。なむあみだぶつ、なむあ みだぶつ」そういって皈った。 おろかな会話のようであるが この中に、りくつを こえた、いのちがある。仏心の顕現三昧(けんげん ざんまい)というてもよい、頭の下る世界である まいか。 三河の念仏者 七三郎(信者群像より) |
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