日本妙好人協会

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金言金行集
2020年7月12日
 享和元年(1801年)下関の西の六連島に、

大森岩吉の娘に生れ安政三年 五十六才で

逝った。

(その二年後の香樹院徳竜が八十七才で

寂している)

おかるは勝気で男まさりで、十九才で幸七を養子

にむかえたが、幸七は北九州の女と情を重ねた。

そのいかりや なやみを住職智現が助け、聞法する

ようになった。

その頃の真劒な求道のなやみは次の歌に

あらわれている



こうもきこえにゃ きかぬがましよ

きかにゃおちるし ききゃくろう

いまのくろうは さきでのらくと

きやすめいえど きはすまぬ

すまぬ心を すましにかかりや

雑行雑修と すてらるる

すてて出かくりゃ なお気がすまぬ

思えば有念 思わにゃ無念

どこにおじひが あるのやら

どうで他力になれぬ身は

自力さらばと ひまをやり

わたしが胸とは手たたきで

たった一声きいてみりゃ

この一声が千人力

四の五のいうたは むかしのことよ

じゃとてじごくは おそろしや

なんにもいわぬが こっちのねうち

そのままこいよの お勅命

いかなおかるも あたまがさがる



六連島 おかるさん(信者群像より)

金言金行集
2020年7月13日
 (おゆきの夫の弟さん)言(いふ)に

「此間御寺の報恩講の日に、猟師が鉄砲で

鳥を打取りたを見受け、おそろしきものぞと

思ひしが、あれが本眞物(ほんまもの)であろう、

それにあなたは 何處(どこ)までいくかしらぬが、

模様

ほしさに行くかのう、可愛そうに」 ・・・
 
 私は何のことやら更に分らなんだが・・・・

おゆき様は 杖にすがり雪の中を見送り、

一二丁ゆけば

「オオイ  オオイ」と呼びもどされるゆゑ、

なにかしらぬと歸つて来た。

其の時に私の手をとり、

「これ兄様(にいさん)、御前は信心を得にや

歸らぬといふたナア、

「はい、さよう」  おゆき「けれども、何處まで

ゆかれるか知らぬが、もしや

この後(ご)において、いよいよこれでこそ得たナア

といふのが出来たら、如来聖人とお別れぢや

と思ひなされ、

元の相(すがた)歸つておくれたら、御誓約通り

ゆゑ、さぞや御真影さまは、

お喜びであらう」といった。



美濃矢島村の妙好人おゆきさん
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