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2020年6月14日 |
なむあみだぶつ 妙好人のようになりたいと思ってる間は信心も頂け んし、それは違う。という意見をたまに見かける。 それは、自分と阿弥陀様の問題として、庄松さんの 意見でも見られるように俺に聞かずに親に聞けと お内仏のご本尊の阿弥陀様を指す訳である。 親鸞一人がためなりけり であろう。 しかし、不可思議なる妙なる信心深き念仏の行者 になれぬままの人が大々多数を占める。 あんな風になれたらなぁと憬れるのは決して 不自然でも悪いことでもないと思う。 そこで比較・差別・分別は生まれる それが、信心病にかかる、きっかけになる。 そこから、長い長い心の旅が始まる・・ 阿弥陀様を探しに出かけるのである。 ある瞬間にふと頂ける、ずっとここに居て下さった のかと! これまでの世界が有限から永遠の無碍無對の 娑婆即淨土(地獄即極楽)に生まれ変わる。 と、ここまでの内容を解った!理解した! 謎が解けた! これは信心の世界ではない。 この今おる同じ世界が一変した事実を実体験の 上で鈴木大拙先生のお言葉を借りて申すと 宗教経験の事実の「体験・体得」があったか無か ったかが大きな分かれ目である。 分別を尽くして宗学を究める方向に進む人と 全生命を懸けて実生活の上で実体験をした同行 との違いは計り知れない。 お前さんは聴聞育ち、わしは親様育ち と言った妙好人さんの厳しいご催促が懐かしい。 |
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2020年6月15日 |
「信者群像」なる本が出て来た。 まだ、まえがきと目次を見た程度であるが、 沢山の妙好人さんが紹介されている。 じっくりと拝読させていただく。 付箋(ふせん)を付けていって、重複するやも知れ ぬが、興味深い言行録などは随時、紹介させて 頂こう。 しかし、むしむし しますね! なむあみだぶつ |
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