金言 金行集 |
---|
2019年12月29日 |
或時和上の御前へ、僧分の立派な御方が御出に なり、いろいろの御話があつたが、遂に佛法話に うつツた。 お出なされた御方の云はれるには 「此頃いろいろな有難い同行もあるが、其中でも あの同行は一番であろう、よくきいて居る。 其次と思ふは誰で、其次は彼れであらう」 と話されたれば。 和上はそれに答へて 「其(その)一番の同行は何によつて 助かるだらう」 「そりや お六字さー」、 「それぢや二番の同行は何で救はれるだらう、 又 其三番の同行は」と 尋ねられたら。 聴聞で助かるとも云へず、大事が深いでとも、 喜ぶでとも答へられず、遂に赤面して答が出来 なんだ。 「それ見よ此度はお六字一つでなくては、外に 助かる道はあるまひがのう、夫(それ)に 出離之縁と〆(しめ)をうたれた機の上に、 一番二番を見て居るやうなことがあるものか、 それほどの心得違ひはない」と お叱りなされたことがある。 それを聞いて居たる私は、驚いて只涙の外は なかつた。 光觸寺和尚(信者めぐり) |
|
金言 金行集 |
---|
20201月4日 |
「哲学者には、才市のいうところの「たのしみ」が ない、「よろこび」がない、「ありがたい」がない。 「おじひ」 「ごをん、うれしや」がない。 ここに体験者と概念一途(がいねんいちず)の 学者との大なる相異がある」 鈴木大拙先生 |
その他の金言集⇒⇒詳細ページ3052へのリンク |